2009年9月6日日曜日

江戸から東京へ(二) 浅草(上)

推古天皇の36年(628年)3月18日の早朝、土師臣中知という野見宿禰の末孫が、家臣檜前浜成、同武成という兄弟の素人漁師とともに、舟を出して網を入れていると、魚は少しも捕れずに、何度となく一寸八分の観音様が網にかかったので、土師臣も奇異に思い、その日は殺生をあきらめ、観音様だけ
拾って帰ったとある。これが金竜山浅草寺の濫觴だというから、なにさま海苔もとれたに違いない。

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